シータヒーリングの七辿響-なとおん-島袋孝子

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七辿響-なとおん- 島袋紗和プロフィール

 

島袋 紗和 プロフィール

 

  島袋 紗和       Sawa Shimabukuro

 

 プロフィール

 ・中学2年生の時に父親をガンで亡くし、母方の実家で農業を手伝いながら学生時代を過ごす。

 ・高校卒業後、複数のアルバイトで学費を稼ぎながら大学へ進学し、主に社会福祉を専門に学ぶ。

 ・大学卒業後、認知症グループホームに勤務し介護士(夜勤含む)として従事。

  介護職と外国人留学生の教育・指導担当を兼務。

 ・2019年7月 エンドオブライフ・ケア援助士認定取得。

 担当した留学生全員が介護福祉士養成校に合格・入学するのを見届けた2020年4月に福祉職を退職。

 ・2020年5月 EQ絵本講師®インストラクター資格取得。

 ・2020年10月 シータヒーリングインストラクター資格を7つ取得。

   (基礎、応用、Dig Deeper、リレーションシップ②③④、豊かさと願いの実現)

 ・2021年1月 雇用環境整備士資格を4つ取得。

 

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中学生の頃、父をガンで亡くしたことをきっかけに医療従事者を目指して医学・福祉について学んできました。

大学卒業後は認知症グループホームで勤務し、介護業務、管理業務、寮母相当の外国人留学生育成を経験しました。

 

私がシータヒーリングⓇと出会ったきっかけは、この頃のワークライフバランスについての悩みからでした。


実際の介護現場は想像以上に過酷で、理想と現実のギャップに悩んでいました。

入職から1年が経った頃には人手不足も相まって勤務変更や休日出勤が続くようになっていました。

自宅に帰るのは寝るときだけという生活が始まり、同じ一日の繰り返しを生きているように錯覚していたことを覚えています。

そんな中で日本語の話せない留学生を迎え入れることになりました。

 彼女達との生活は私にとっても良い刺激となり、お互いに言語を教え合うなど毎日コミュニケーションを取っていました。

しかし、そんな日々も長くは続きませんでした。

彼女達をフォローするためには睡眠時間さえも削らなければいけなかったからです。

「1年で日本語学校を卒業出来なければ帰国しなければならない」というのが彼女達に課された留学の条件でした。

そのため学校や生活のことで呼び出されることが増え、それは仕事中だけではありませんでした。

誰にも助けを求めることが出来ず、プレッシャーだけが大きく膨らんでいきました。

 

ある夜勤の日の出来事でした。その日はいつも以上に平和な1日で、何事もなく夜が明けようとしていた頃でした。

特に何かがあったという訳ではありません。

何がきっかけだったのかもわかりません。

 ただ、自分の顔や服が濡れていました。

タオルを取りに洗面台へ向かったところ、鏡に映る自分の姿を見て初めて自分が泣いていることに気づきました。

一度自覚すると涙が止まらず、ひとしきり泣きはらして仕事に戻りました。

このままでは危険だと思い、私の師匠で、現在は義母でもある島袋孝子さんのセッションを受けました。

これがシータヒーリングⓇとの初めての出逢いでした。


セッションを受けて初めて、自分の本心と向き合いました。

 

父の死以来、「早く大人になって私が家族を楽にしなきゃ」と一人焦って生きてきたことを思い出しました。

合唱部に所属していた当時の私の将来の夢はオペラ歌手になることでした。

高校も大学も音楽を専門に考えていましたが、そんな余裕もお金もありませんでした。

学校以外の時間は農作業を手伝い、どんなに辛くても私よりもっと辛いのは母だから・・・と

自分の心に蓋をして、早く大人になることだけを考えて生きてきました。

当時は休みの日も友達からの遊びの誘いを断って農業を手伝っていました。

農作業をしている畑の側を挨拶をしながら歩いていく友達に私だとバレないように、

フードを深く被って通り過ぎるのを待ったこともあります。(今思えばバレていたかもしれないですね 笑)


医療職を選んだのは、お金を稼ぐ一番の近道だったからというのが正直な所です。

それでも自分が体験した出来事を活かし、根拠を持って改善に取り組むことが出来る医療職は私にとって天職でした。

 

私は、これら全てを過去のことと割り切っていたつもりでしたが、

『潜在意識には時間の観念がない』という事をこの時初めて師匠から教えてもらいました。

割り切っていたのではなく、自分の心に蓋をしていただけだったのです。

 

 

★初めてのセッション後の変化★  (プラクティショナー:島袋孝子)

 ・職場で留学生達に「日本語でコミュニケーションを取るように」と

  何度言っても英語で送られてきていたメールが、その日を境に全て日本語・漢字になりました。

 ・父親を失った悲しみ、喪失感に囚われていた心から解放され、息をすることが楽になりました。

 ・好きだった絵本を通して「EQ絵本講師®」という資格を取得する事が出来ました。

 ・猫と一緒に暮らしたいと思って願っていたら、

  数日後に子猫を保護した友人から連絡があり、想像以上の可愛い子猫を引き取る事になりました。

 ・「留学生を担当する事で抱えていた責任の重圧」から心が解放され、無事に全員合格を見届ける事が出来ました。

 ・入籍が決まり、寿退社する事が出来ました。

 

 他にも沢山の奇跡がありました。

 当時マニフェストした事が今では全て叶っています。

 

ヒーリング後、初めて鏡に映る自分の顔を見たとき、「笑っている!!」と感動した事を覚えています。

これまで自分では笑っているつもりでも、鏡や現像した写真を見ると目が笑っていないことが多く、鏡や写真に写ることが嫌いでした。

でも、この時ちゃんと笑っていたんです。

それがとても嬉しくて、私も心から人を笑顔に出来る仕事がしたいと強く思うようになりました。

 

父が亡くなってからというもの、祖父、親友、仕事でも、沢山の大切な人を亡くすという経験をしました。

人生の最期を目前とした方と幾度となく関わってきました。

 

もし自分の人生がもうすぐ最期を迎えるとしたら・・・。

笑顔で、心から、『いい人生だった』と思える人生を生きたい。

 

たった一度の私の人生、絶対に後悔したくない!と思い、仕事を辞めて本気でヒーリングの仕事をしてくことを決意しました。

その後、留学生達も無事に一発で試験に合格し、入学式にも一緒に参加することができました。

それから退職した私は、すぐにセミナーを受講しインストラクターの資格も7つ取得することができました。

 

今、私の人生は毎日が輝いています。

「生きるって楽しい!」と心から思える人生を過ごしています。

 

☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~~☆~☆~

 

 

 「自分の人生は誰の為にあるんだろう・・・」と傷つき、悩み、人間不信に苦しんだ事もありました。

 自分の意思とは関係なく夢を諦めた事も過去には沢山あります。

 

 そんな私でも、

 これまでの数々の経験、体験に何一つ無駄なことはなかったと思えるようになりました。

 喜びや嬉しさを心から表現しながら笑う事が出来るようになりました。

 

 そう思えるようになったのは、

 シータヒーリングと出会い、自分自身ときちんと向き合えうことが出来るようになったから。

 どんな形でも私に沢山の影響を与えてくれた家族、友人、周りの人々の存在があったから。

 何があっても諦めず、一緒に成長してくれた「自分自身」という存在があったから。

 

 人生は一度きり。

 あなたの夢は何ですか?

 あなたが本当に望む事、心からワクワクする事は何ですか?

 あなた自身の持つ本来の魅力、才能を輝かせることの出来る未来へ・・・

 新たな人生への一歩を一緒に踏み出してみませんか?

 

 


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